“maruo”デザイナーの圓尾瞳さんにインタビュー【前編】

作品を発表するや、オンラインショップで即完売してしまう、知る人ぞ知る人気アクセサリーブランド〝maruo〟。ヨーロッパのヴィンテージをはじめ世の中にある美しいもの・価値あるものを、その時代に合ったスタイルにリ・デザインするアクセサリーは、この上なくスタイリッシュでロマンティック。
デザイナーの圓尾瞳さんは、このたびmerweddingで「花嫁や参列者」のためのコスチュームジュエリーを提案し、リースという形に初挑戦。そこには彼女ならではの特別な思いが込められているのです。常に生き方を模索し、自分の哲学を持つ若きクリエイターの圓尾さんのインタビュー、必読です!

圓尾 瞳さんprofile

圓尾 瞳 / Hitomi Maruo

コスチュームジュエリーブランド”maruo”代表。
1989年神戸市出身。関西学院大学総合政策学部卒。学生時代よりファッションに興味を持ち、独学で服作りを始める。卒業後は卸売アパレル商社でバイヤーとして勤務する傍ら、オーダーメイドで衣装制作を行う。その後プレタ・パリコレサンプルの縫製アトリエにて修行を積み、フリーランスへ。独立後はアーティストへの衣装提供やアイドルのスタイリスト、パーソナルコーディネーター、ブライダルヘッドドレスの製作販売等を経て、2015年7月より自身のオリジナルブランド " maruo "をスタート。
http://www.instagram.com/hitomimaruo/

●ブランド〝maruo〟を作るまでのことを教えてください。

おかしなことを言うようですが、私には成功体験がなかったんです。学生時代は勉強もだめ、運動もだめ。「おしゃれだね」「瞳は絶対にファッション業界だよね」と友達に言ってもらえることだけが救いでした。大学を卒業後、念願のファッション業界に足を踏み入れたのですが、入社して1ヶ月後には、自分が思い焦がれていた世界とは違うと感じました。大好きなお洋服の仕事を楽しめない自分がいたんです。「私は歯車のひとつにしか過ぎない」「このままでいいのだろうか」という思いが湧いて、会社を1年で辞めてしまいました。

「歯車のひとつとしては生きたくない」「代替不可能な私にしかできないことをしたい」。そう思ったのだとしたら、ではどうしたらいいのか……。考えた末に出た結論は、自分の名前のブランドを立ち上げよう、ということ。自分の名前のブランドで、自分にしかできないことをやろう、と思った。だから順番が普通とは逆かもしれないです。「作りたいものがある」という前に、「どうしたら自分が後悔しない生き方ができるのか」を考えた結果、〝maruo〟というブランドを立ち上げたわけです。

●洋服からアクセサリー作りへと移行した理由は?

【初期に作っていたヘッドドレス】

最初は、自分が作りたいお洋服を作っていました。ところが私は凝り性だし、妥協ができないタイプで、あまりにも費用対効果が低くて。洋服作りで食べていくのは難しい、と早々にわかりました。次にウェディングのヘッドドレスを作って企業に卸すことを始めましたが、作ったものをどんな方が買ってくださるのかわからないのが、寂しくて。それで卸しではなく自分でネット販売を始めたところ、とても好評だったんです。「ヘッドドレス」でネット検索すると、すぐにうちがヒットするぐらいに。

ネットで〝maruo〟のことを知った専門業者さんから、百貨店で開催するアクセサリーのポップアップストアに出店しませんか、というお話をいただきました。百貨店のポップアップストアは、作家が売り場に立つことができるんですよね。お客様と触れ合うことができる。「やります! やらせてください!」と即答していました。それまで、アクセサリーは作っていなかったのに(笑)。作れないはずはない、という見切り発車です。

百貨店でのポップアップストアは1週間の期間限定で、30ブランドぐらいが出店しました。〝maruo〟のアクセサリーは、なんと一番の売り上げだったんです。当時はハンドメイドブームで、お花のモチーフが流行っていたので、かすみ草のモチーフを取り入れたり、価格も3000円ぐらいまでと手に取りやすい値段にして、自分なりのマーケティングが成功した感じでした。

ポップアップストアで人気を得た〝maruo〟に、今度は百貨店からじかに出店の話が来るようになりました。並行して、ほかで委託販売も始めたのですが……2、3ヶ月で頭打ちにあいました。委託販売をお願いしていたところでアクセサリーが1つも売れないことがあって。そうなると、「このままではどんどん売れなくなっていく」と予測できるんです。「この状態でブランドを継続していくのは難しい」とわかりました。そもそも、自分でつけたいアクセサリーではなく、「こういうのがウケそう」と思って作っていることじたいにジレンマを感じてもいて。ブランドの方向性が見えなくなってしまいました。

●そんなときにパリへ行ったことが、ブランドの転機になったとか。

【初めてのパリで】

そうなんです。アクセサリーの売れ行きが怪しくなってきて、自分のやっていることに限界を感じたとき、気晴らしに、ずっと行ってみたかった海外へ行こうと思いました。安売りのチケットを探すと、バリ行きの往復が4万5000円で。バリへ行こうかなと思って、一応ほかも見ると、なんと同じ4万5000円でパリ行きの格安航空券があったんです。これなら私でも憧れのパリへ行ける! と。今から4年ぐらい前のことです。そのときは1週間ほどのパリ旅行でした。刺激的だったし、大きな収穫がありました。

【パリの蚤の市で初めて仕入れたヴィンテージパーツ】

蚤の市で、古くて美しいヴィンテージのものたちを見たときは、文字通り、〝全身の血が騒ぐ〟感覚でした。蚤の市で買ったものを、パリ滞在中にすぐに〝maruo〟のインスタグラムに挙げると、ものすごい反応があったんです。「これを使ったアクセサリーはいつ買えますか?」というような問い合わせがたくさん来た。ああ、みんなが欲しいものって、私自身が「きれい」と惹かれるものと同じなんだ、とそのとき初めてわかりました。自分が「美しい」と思うものを作ればいいんだ、今まで遠回りしていたのかもしれない、って。それで貯金をすべてユーロに換金して、クリニャンクールやヴァンヴの蚤の市で、惹かれるものをかたっぱしから買ったんです。アクセサリーとして使えるかどうかよりも、自分の感性で「すごい」「美しい」と引き寄せられるものを。ほとんど何も考えず、目に止まったもの、目があったものをひたすらに買い集めていきました。

【パリで初仕入れ後のmaruo新ラインナップ】

帰国するとすぐに、買ってきたヴィンテージのパーツを使ってアクセサリー作りに没頭しました。ちょうどビッグサイトで開かれた「ハンドメイドジャパンフェス」に出店することになっていたんです。古くて新しい〝maruo〟のアクセサリーはすべて1点ものです。フェスの売り場にいると、〝maruo〟のアクセサリーを手にとって買ってくださるお客様のタイプが、ガラリと変わったのを感じました。以前は、どちらかというと女の子らしかったり、可愛らしいものを好む方が多かったと思うのですが、新しい〝maruo〟を気に入ってくださるのは、おしゃれな方たちです。流行に敏感で、個性的であることを恐れず、自分の魅力をよくわかっている人たち。

再生した〝maruo〟のアクセサリーは、セレクトショップの常設コーナーやオンラインショップで爆発的に売れました。百貨店のポップアップストアに200点のアクセサリーを出品しても、即完売してしまうので、抽選で買っていただくようになったり。それはもちろん嬉しいことではあるけれど、この人気が自分の実力に見合うものなのかな、って思うようになりました。自分のブランドが、自分の実力とかけ離れていく気がしてならなかった。私はコーディネート力や編集的な能力はあるかもしれないけれど、ゼロからものを生み出す力は持ってないんです。創造力はないと思う。それなのに、こんなに大勢の方に求められ、受け入れられていいのだろうか、って。ちょうどその頃、非常にポピュラリティのある、誰もが名前を知っている人気のアクセサリーブランドから、外部デザイナーになって欲しいというオファーが来たりもして。そうすると逆に「私は本当に、私にしかできないことをできているのだろうか」と思ってしまう。軌道にのりかけると「これでいいの?」「本当に大丈夫?」と自分自身を疑ってしまうところが私にはあるようです。根底のところで、自分に自信がないのかもしれません。

●徹底的に自分と向き合う為に再びパリへ…

もっと自分と徹底的に向き合う為に、再びパリへ向かった圓尾さん。
後編ではパリで過ごして感じたこと、maruoの魅力を語っていただきます。
公開をお楽しみに!